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アインシュタイン稲田くんに感じる希望と社会変革の実践的手法について

いま軽妙な漫才で聴衆をわかせるアインシュタイン稲田くんを見ている。そして思う。差別撲滅を志向した政治活動より、彼のほうがよほど社会を変えていないだろうかと。

差別撲滅デモを否定する意図はまったくないが、しかし、その活動がこの日本においてどれほど有効であったか。その実効性を鑑みる時、ぼくはどうしても懐疑心を抱かざるを得ない。そして聴衆を爆笑させる稲田くんにこそ希望を感じる。

彼は(自虐しているように)とても独特な風貌をしている。しかし、ともかくも漫才がとても面白いから、次第に存在全体としての自分を周りに受け入れさせてしまう。

社会変革とはなんであろうか。差別撲滅を叫ぶわきで、稲田くんは自分を社会に浸透させつつある。奇異の目を払拭しつつある。

社会を変えようとするのではなく、自分を認めさせてしまう。

それは結果的に社会変革の小さくも確実な一歩といえるのじゃないか。そしてもしそれを一人ひとりができたなら、社会から差別はなくなるのかもしれない。いや、差別を感じる人間の性質は一切変わらないのに、差別的な空気が減ってゆく。そこに実効性のある差別撲滅のヒントがあるのではないか。

そう思った。

差別の生みだす原因の一端が社会構造に確かにあり、だからそれを変えたいと考えることを無意味とは思わない。しかし、実際には誰が差別を越える希望を体現しているのかと言えば、それは稲田くんのように思える。

そもそも、周囲と違った存在に対して警戒心を抱いてしまうのは、人間にとって必要不可欠な危険察知能力の一種だ。そして、誰もが多かれすくなかれコンプレックスを抱えていて、そのコンプレックスは、自分が周囲に警戒されることへの恐怖のあらわれでもある。そういう人間のどうしようもない性質を無理に変えようとするより、ありのままの自分を認めさせてしまう(自分も仲間なのだと発信してしまう)ほうが早いのじゃないか。

そんな新たな視点を、稲田くんの生き方から教わったような気がする。

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