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2016年4月

足立議員のアホ発言の本質は映像を見れば解けてくる

足立議員のアホ発言だが、あれはそんな安易な問題に矮小化してはいけない様々を含んでいる。現政権が熊本地震の対応に追われる中での出来事であるというのも大いに関係している。

できれば4月21日の総務委員会を実際に見返してほしい。そうすれば彼がなぜあれほど語気を荒げたのか、いろいろ感じるところがあると思う。時間がなければ、当該映像最初の質疑者、高井議員の質疑冒頭部分20分と、足立議員の質疑全20分だけでいい。

今回の発言のあらまし

足立さんの今回の問題発言はなぜ起きたか。誤解を恐れず言えば、被災地とその復興のために激務に耐える公務員を思うあまり、ああなってしまったと言っても過言ではない。彼はもともと国家公務員だ。人一倍理解できる部分もあるんだろう。そこにきて防災担当副大臣へ向けて投げつけられた高井議員の心ない質疑。

足立議員は言う。民主や共産、メディアだけが政府与党に好き放題文句を言えて、逆は全く許されないというのはどんな了見なのかと。それは二重基準というのではないのかと。

そうして、言いたくても言えない現政権を代弁するようにして彼は語気を荒げつづけた。そして、それに対して非難の声をあげる野党に言ってみせる。

暴言を吐かれればしっかり非難するくせに、自分たちは暴言吐き放題か民主・共産。このように都合よく二重基準を放置している野党議員など議員の資格はない。議員に悖ると。

全くその通りじゃないか。

腹の虫が収まらない民進党

もう分かったと思うが、今回の一件はアホ発言ではなく、どちらかと言えばど正論による皮肉の全容に対して、民進が苛立っているというのが正しい。もっとも、これほど問題化したのは、明日投開票を迎える京都3区の補選に向けてのネガティブキャンペーンの意味合いが強いわけだが……。

さらに、彼はこうも提案している。「もう一度ちゃんと規律を作り直しましょう」と。もっと公平な国会にしましょうと。野党が文句や誹謗をするなら、与党側だってしていいはずだし、しないならば両者ともしない。それが公平なルールってもんじゃないかと。

彼の発言のなにが間違っているのか、ぼくにはそれがわからない。むしろ高度なアイロニカルな論点として完成しているではないか。

足立さん負けるな、あなたは辞めちゃダメだ

ここまで読んでくれた方には、多少なりとも伝わっているはずだが、彼は間違ったことを言っているわけではない。むしろ彼の発言を間違っていると指摘する議員の方が間違っている。それは「公平」の意味を理解し、また国会議員の役割を理解できる知性さえ備わっていれば判断できることだ。

足立さん負けるな。彼は次期選挙で自分は落ちるだろうと自虐する。嫌われちゃってるからと。あなたはいてくれないとダメだ。

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なぜ日本政府はテロリストに身代金を払ってはいけないのか

中東での邦人ジャーナリスト誘拐事件が取り沙汰され、それに呼応して「テロリストの要求どおり身代金を払え」という政府非難を展開する声がチラホラと散見される。人命が第一だと。確かに邦人を救いたいという気持ちは分かる。しかし、そのロジックはあまりにも軽率すぎる。

勘違いしてはいけないのは、日本政府は人命を第一に考えている。むしろ、だからこそ身代金を払えないのだ。

他国を例にあげれば、非公式に要求に応じている国もあるという話もきかれる。しかし、このテーマにおいて、日本は無闇に欧米諸国と比べることはできない。なぜなら、日本には極めて特殊な憲法があるからだ。自ら武力を縛り付けている日本は、外国と同様の軍事行動がそもそもできないという弱みを抱えている。

その上でさらに身代金を払う国だと示してしまえば、それはテロリストたちに対して極めて安全にお金を得られる手段を提示することになってしまう。つまり「良いカモがここにいるぞ」と自ら喧伝しているのと同じ。それは邦人誘拐が今まで以上に横行しかねない危険性に直結している。

日本人の総合的な安全が将来にわたって長く脅かされかねないそのような一手を、日本政府が選択できるはずがない

身代金を払うべきだと言い切れる人は、以上の点についてよくよく考えてみてほしい。「北朝鮮による邦人拉致」を忘れてしまったのだろうか。これほど明確な国家的犯罪が、未だになぜ未解決のままなのか、もう一度よく考えたほうがいい。

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維新の「身を切る改革」を批判する人間にはこう反論しよう

大阪維新の会および国政おおさか維新の会が掲げている「身を切る改革」については根強い批判が存在しているが、そのどれもが的外れで辟易してしまう。

なぜ維新は身を切る改革を訴え、実行してきたのか。それは別に削ったお金を財源にしようなとどいう話ではない。

給与を削る。退職金をほとんどスズメの涙ほどにする。その本当の狙いは極めて単純で「お金がほしくて政治家になったわけではない」という差別化を図るためだ。これは昨今のお金に対する疑惑で汚れた政治状況においてどれほどの強みか、政治に興味のない人間でさえ誰でもわかるはずだ。この誰でもわかるという戦略こそが、維新の強みでもある。

だから、批判として多く聞かれるような「給与を削ったくらいで財源は捻出できない」とか「政務活動のクオリティを維持するためにはお金が必要なのだ」というような反論は、まったくその戦略に気づいていないことになる。

維新は常に、いまの政治状況でどうしたら勝てるのか、どうしたら有権者の信頼を得られるのかを徹底的に考え、実行してきた。お金にクリーンであり、私利私欲で政治家になっていないと、そう訴え支持を確実に増やしてき。そうして大阪では、古参の有力な勢力を押しのけ第一勢力にまで上り詰めている。

対抗勢力の意識が相変わらず現状のままであるかぎり、そしてお金の疑惑が政界に蔓延しているかぎり、維新は存在感を示し続けるだろう。

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ワクワクする政治って何だよバカかw←おまえがバカか

政治が動く時など大抵いつだってワクワクかハラハラかイライラしているんだから、消去法でだってワクワクがいいじゃないか。

政治家だったら、熟慮の末に導きだした小難しい論理を、希望の言葉に換言できなきゃしようがない。支持者を増やして、その上でしたたかに実現を目指す。それくらいできないでなにが政治家なんだ。

文句だけならデモでいい。法律作るだけなら官僚でいい。政治家に求められるのは何なんなのか。必死で考えてくれよ。下を向いているみんなをワクワクさせることだろう。困っている人、人知れず泣いている人に手を差し伸べることだろう。

そういうことができないから、不安を煽ったり、敵愾心を煽ったり、相手を落として自分を上に見せたり、そういう下らない勝負をするようになってしまうんだろう。

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欅坂46のデビュー曲は「若者よ選挙に行け」というメッセージ

欅坂46 『サイレントマジョリティー』
https://www.youtube.com/watch?v=DeGkiItB9d8

次の参院選から、選挙年齢が「18歳以上」に引き下げられるのは周知のことだが、その直前にこの曲を発表した秋元康がおろしく、そして素晴らしい。

歌詞が民主的な社会を射抜きすぎている

YESでいいのか
サイレントマジョリティー

どこかの国の大統領が言っていた
声をあげない者たちは賛成していると
選べることが大事なんだ 人に任せるな
行動をしなければ NOと伝わらない

秋元康, 「欅坂46 - サイレントマジョリティー」

引用したのは政治用語「サイレントマジョリティー」の辞書にしてもよいくらいに民主政治の概念を言い当てている部分だが、詞の全体を通じて実に的確に民主政治の理想を表明している。それが若者を鼓舞する情動的な曲調と相まって、聞く者の心を奥底から揺さぶる。湧き上がる感情を抑えきれなくなってくる。

それは本来、自由な社会にとって何よりも必要とされる推進力であるにも関わらず、閉塞感漂う現代日本において最も忘れ去られているひとつだろう。

この曲は啓示だ。欅坂は預言者であり、神は秋元康。

秋元氏は、アイドルが本質的に持っている信仰的かつ明示的な性質を活用して、若年層を政治的に開眼させようとしている。少なくともこの曲についてなら、間違いないくそう言い切れる。人生を通じて自分らしく生きてきた秋元康自身を神として、アイドルを預言者に見立てて、今の世の中に欠如しつつある「若さ熱さ自由」を深く鋭く伝達しているのがわかる。

もしこの新曲に込められたメッセージを凡庸に換言するとこうなるだろう。

「若者よ、声を挙げないと、この社会はすぐにひとくくりにするぞ。大人の期待になど答えても、その見返りなどないぞ。生きたいように生きろ。自分を表明しろ。選挙もその機会のひとつだ」。

アイドルのデビュー曲なのに恋愛の要素ゼロ

そもそも、アイドルのデビュー曲にこれほど政治色の強い歌詞を持ってくるというのは本当に異色のことであるし、それほどまでに夏の参院選を重要なタイミングとして位置づけているのだとしたら、その危機感をぼくはとてもよく理解できる。

実は少子高齢化と言われているが、若者の有権者の数は全体から見ればそれほど小さいわけではない。何が問題かと言えば、選挙に行く若者が致命的に少ないことだ。

更に18歳に選挙年齢が引き下げられる次の参院選でさえ、もし若者の投票率が低いとなれば、若年層の民意は「文字通りのサイレントマジョリティー」と化してしまう危険性がある。正確に言えば、政治家が自分に投票してくれる人のために動こうとするのは極めて真っ当であって、ゆえに民主制の論理として、選挙にこない人間に気をつかうことはなくなってゆく。だからこそ、これほど若者にとって危機的なタイミングはないということになる。

貯金をくいつぶし未来に負債を押し付けつづける現代社会にNOを突きつけろ

待機児童や、子供への公的支出割合が悲劇的に少ないとか、そういう若者や子供たちへの未来の投資を怠って、貯金を食いつぶしつづけている政治状況を打開するには、やはり若者が選挙で存在感を示すことが不可欠となる。しかし相変わらずの低投票率であれば、政治家たちは「若者の声を聞こうとしたが、彼らは答えなかったんだ」というような言い訳を臆面もなく語れるようになってしまう。

それでいいのか。

秋元康は欅坂46を使ってそう訴えかけている。

最後に

実際に秋元康が危機感を抱いているかどうか、それはわからない。しかし、たとえもし歌詞に立ち上る危機感がフェイクであっても、この曲をこの時期に発表したそのことをもって、ぼくは彼に敬意を表したいと思う。

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