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感動の影に潜むもの

映像などでよくある題材に、
足に障害を負った学生が、
生きる希望をみつけて健常者と一緒の長距離走に挑戦する。

というようなものがある。
ラストシーンはこうだ。

血のにじむ訓練をして本番を迎えたが、
やはりみんなとはスピードも体力も格段に違う。
どんどんと取り残され、結局一人で孤独な道のりを走っていくことになる。

主人公は思う。
ああ、、、もうだめかもしれない。
足が痛い。
義足が外れてしまいそうだ・・・。

そんなとき
クラスメートが、家族が、見ず知らずの人が、
がんばれ!がんばれ!とエールを送りながら、一緒に走ってくれる。

主人公はその励ましによって、再び心がよみがえり、
見事にゴールすることができた。
この主人公は現在も、希望を胸に走り続けている。

こんなシーン。
すごくありふれていて、
でもとても暖かいこんな場面。
もしもこれに実話であるという事実が加わったら、
もうたまったものじゃない・・・。
胸が熱くなって、感動が心を包み込むだろう。

でも、その種の感動というのは
普段、現実世界での自分自身が、目の前で困っている障害者の人を助けられないというジレンマやストレスが
その場面を見ることで解消されて引き起こるものなのではないかと感じた。
あくまでも健常者目線ではあるけど、少なくともそういう一面が確実にあると思う。
現実世界では、恥ずかしくて、ほんの少しの勇気がなくて踏み出せない一歩。
そんな心の穴をこの場面が埋め合わせてくれる。

それは一見いいように思うけれど、
この映像で満たされてしまった心は、
その後、現実世界で同じような状況に出くわした時、
また一歩を踏み出せない自分を繰り返してしまうんじゃないだろうか。

感動が生み出す効果には
見る人の心を甘やかしてしまう一面があるんだとふと思った。

もし逆に、心を鍛える映像というのがあるとすれば、
それは残酷で、胸に何かつっかえが残って、
とても後味が悪いものなのかもしれない。
その映像自体の評価は低いものになる可能性のほうが高いだろう。
でも、実際、そのおかげで現実世界での生き方がプラスに変わるとするなら、
僕は作ったもの自体の評価よりも、効果を優先させたいと思う。

エンターテイメントは見てもらえなければ意味がないが、
しかし作る人間には、それを見たひとりひとりに対して責任がある。

だから
たとえむやみやたらな感動を与えることが、人を呼び込むエサになるとしても、
たとえ見た人間がその映像はとても良かったと評価したとしても、
その後の人生において、マイナスの影響を与えてしまったとしたなら、
それが本当にいいことであるとは肯定できない。

とても難しい問題だけど、表現者という人間全員が、
よくよく考えなければいけないことなんだと思う。

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